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紙枕の中にある

本とエッセイ

『スノードーム』の雪の中

アレックス・シアラー

 青春時代に読んだ本の一冊は、日本人の純文学作家のものだといくつかあるけれど、それよりも強く印象に残っているのは、イギリスの作家アレックス・シアラーが書いた長編小説『スノードーム』だ。

 

 『スノードーム』は、失踪した若手研究者を探るため、彼の部屋に残された原稿とスノードームの話を主人公が語るという内容で、ヤングアダルトな長編小説だ。

 著者のアレックス・シアラーは、元々はラジオドラマの脚本などを手がけていた人で、少年少女の冒険小説に定評のあるイギリスの作家で、日本では『チョコレート・アンダーグラウンド』という小説が、アニメーション映画になるくらいには名が知られている。

  

僕がこの作品に引き込まれたのはエピグラフの部分、

 

「はじめてここへきた者のように

 不思議なことに出会い、不思議な実を愛でる

 この美しい世界にゆだねられた不思議な宝が姿をあらわす

 わたしにはまったく未知の宝が」

 

トーマス・トラハーン

 

それと冒頭部分の、

 

「秀才にかぎってたいていがすぐダメになる。大学なりどこなり出たてでここへきたときは、資格証明書の類をこれみよがしにぶらさげ、どんなことでも解決してみせますといった顔をしているくせに。どんな質問でも、まだたずねられもしないうちから、答えがわかってますというふうに。だが、そんなやつらは長続きはしない—――」

 

という導入部分に引き込まれた。

 『スノードーム』という作品は、子供向きの小説とジャンル付けされているが、決して安直な冒険譚だとか、ファンタジーノベライズではない。

この作品は、Y・A(ヤングアダルト)という青少年向けの作品を書き続けている著者の作品群でも特殊な作品で、年齢を超えて読まれているクロス・オーバーな作品だと思う。

 

 では、青春の一冊としての『スノードーム』はどんなものであったのか。これを書かなければならない。

 端的に言って、僕の青春は極めて鬱屈としたものだったと思う。

 「花の10代」とすら言われる貴重な10代後半の時期を、僕はほとんど引きこもりや、人間不信、机の上、自分の部屋で過ごしてしまった。それは今もなお、高校生の姿に羨ましさを覚えるほどに強烈に残っていて、当時を思い返すたびに寂しさで心が締め付けられるような痛みとして残っている。

 

 僕が彼の作品に出会うきっかけとなった『スノードーム』を読んだときは19歳だった。その時は、読みやすい印象はあったけれども、小・中学生などが対象のヤングアダルトというジャンルとしてではなく、普通の純文学の海外小説という認識で読んでいた。

 僕は当時、大学受験をするために浪人し、毎日ひたすら往復2時間かけて予備校に通うだけの味気ない日々を送っていて、友達もおらず寂しくて空しい時間を過ごしていていた。予備校の近くには大きな市立図書館があり、田舎だったせいもあって帰りによく電車の待ち合わせのために使っていた。

 図書館の本棚から『スノードーム』を見つけ、手にしたときはちょうど雪が降り始めた時期で、僕は大学受験の“絶対に受からなければならない”という差し迫った焦燥感に体が参ってしまい、低血圧で動けなくなったあとに再び予備校に通い始めたときだった。

 当たり前だが受験生にとって冬の時期に体調を崩すなんていうのは、大きなリスクがある。高校生でない僕にとっては、「敗北」を意味するものであり、今まで誰にも相談できず遊び相手もおらず、息抜きもすべて自家発電的に消化していたものが押し寄せて、心がボキッと、折られた感じがした。

残された期間は1か月と少しだけ。かつてない焦りに襲われ、時間が一秒たりとも惜しい。そんなときに僕は何を思ったのか図書館に行って、『スノードーム』を読むことに没頭し始めた。

もちろん、朝から日暮れまでは以前のように予備校へ通う。しかし、強風の影響で一時間以上遅延することが多くなった帰りの時間を、その日の息抜きのような感覚で図書館に行き、読書をしたのだ。

 僕はその時、生まれて初めて読書に熱中している自分に気がついた。毎日毎日、図書館の本棚から取り出して続きのページを開く。ただ単に、読み終えていない物語の続きが気になるのだ。

 日が暮れてからの図書館へ向かう道は、街並みの喧騒が雪の中に圧縮されてしまったかのように静かで、雪を踏みしめる自分の足音だけが聞こえ、高校までの勉強範囲を繰り返すだけの孤独で寂しい日常を思い知らされている感じがした。

でもそれは、どこか爽やかな寂しさへと変わっていって、昨日自分が歩いた足跡が図書館へと続いているのを見つけたりすると不思議と、

 

「これでいいんだ」

 

と思うようになっていた。今までの暗い生活とは違って、充実した何かがある。

やがて、物語は終盤にさしかかり年末がもうすぐやって来る頃に、僕は『スノードーム』を読み終えた。

 

「もうこの作品を読むためだけに図書館に行くことはないんだ」

「もうこれで、図書館の本棚からこの本を取り出す時間はなくなったんだ。」

 

そう思うと、最後に本を閉じて返却するのが惜しくさえ思われた。普段図書館の本を利用している人たちでも、ここまで公共の本に想い入れを持つことは少ないと思う。

 

 季節が過ぎて、僕は京都で大学生をしている。

僕の青春の1ページを締めくくった本はそういうことで、『スノードーム』ということになるだろう。

ちなみに、原題は『The Speed of Dark』(直訳すると「闇の速度」)だ。

この本に出会って分かったことは、その人の境遇に似た登場人物と読む季節、年齢や感性がぴったりとパズルのピースのように一致したとき、その人にとってかけがえのない一冊になるのだということだった。

 僕の場合、幸いにして10代の最後に出会い、貴重な読書経験をもたらしてくれた。著者のアレックス・シアラーさんには感謝の念がやまない。

  僕は浪人時代という限られた暗闇の時間の中で、エックマン達が織りなす雪の中の小さな世界へ行くチケットを手に入れられた。それは自分の意志で、図書館へ通い続けた僕の選択によるもので、作中人物チャーリーの言葉を借りれば“自分の心が導く場所に”向かったからなのかもしれない。

エピグラフの言葉通り、僕はこの本に出会い不思議な宝を手にした。

だからもし青春の一冊とは言わずとも、僕はおすすめの本を聞かれたらこの『スノードーム』を紹介するようにしている。

もしかしたらその人にとって、貴重な読書体験の光となるような物語になるかもしれないと、密かに託して。

 

スノードーム

スノードーム

 

 

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
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